スタッフコラム
広島紀行
お盆休みを利用して広島の平和記念公園と呉の大和ミュージアムに行って来ました。
(墓参りは初日の午前に済ませて)
前から広島の平和記念公園には行って見たいと思っていました。
何故行くことを決めたかというと、来年は戦後70年という単なる10年単位の節目ではなく、戦前戦中の人も減っていることで、戦後という雰囲気が消えてしまいそうな気がしたからです。
初日は移動だけで平和記念公園の近くのビジネス旅館に止まりました。
と言っても、12時過ぎに金沢を出て夕方には着いてしまうなんて、思ったより近いと感じました。
地図で見ると東京の1.5倍以上ありますが、時間は1時間しか変わりません。
2日目の朝一番で平和記念資料館に入れるように宿をでました(ホームページでお盆は大変混雑するとあったからです)。
有名な原爆ドームの横を通り平和公園の奥に平和資料館があります。
最初は広島の歴史や日本が戦争に突入するまでの経緯が語られた後、いよいよ原爆投下の資料がいっきにでてきます。
ここで前日の宿を爆心地近くにして良かったと思いました。
被害が酷かった地域に入っていたし、標的にされたT字橋も歩いていたので、感情移入がし易くなりました。
原爆被害の資料を見て行く中で不思議に思うことはありました。
原爆被害が酷いことはテレビや書物で知っていましたが、爆心地付近の地上では3000°以上の高熱に約3秒晒されたとのことです。
その状況でも数百人の人は生き残りました。
どうやって?
生き残った人の話しでは、建物の影にいたとのことですが、本人の記憶は光を見た瞬間から記憶が無く、本当の経緯はわかりません。
更にもっとも多くの放射に晒されてもいます。
もう生きていることが奇跡でしかなく、人智を超えたことのように感じました。
そしてもう一つ気付いたことが、外人が多い。
特に欧米人が。 1割くらいいるんじゃないかと思う位にいっぱい。
やはりどこの国の人も平和を求め、その象徴としてここに来ているのだなと感じました。
最終日の大和ミュージアムは簡単に。
展示内容に戦争の悲惨さは無く、ただただ大和は凄かった!
という感じで、従来無かった革新的な技術を多く用いて建造しています。
戦争中は加速度的に科学技術が進歩しますが、平和目的にもそれぐらいの勢いで進歩すればいいなと思いました。
— S.I —